2008年12月24日
昭和7年(1932)頃の「KNC」の佐賀県出身者
こんにちは。主宰者の石井です。
昨日、このBlogで佐賀県出身の森武海軍少佐について紹介しましたが、森氏の母校である現在の国立神戸大学海事科学部(旧制官立神戸高等商船学校=Kobe Nautical College【KNC】)は、佐賀県からも多くの進学者があったようです。ウェブサイトで紹介している石井利雄海軍中尉もまた、佐賀県出身で、佐賀県立佐賀中学校(現在の県立佐賀西高校)からKNCに進んでいます。思えば、幕末の時代、佐賀藩では第10代藩主鍋島閑叟公の指揮の下、近代的な造船・造機、操船の技術移入や教育が盛んで、自前で造船所や海軍学校を作ってしまったほどでした。KNCに佐賀県出身者が多いのも、その影響が少なからずあるのではないでしょうか。

上の写真は、当時のKNCの本館校舎です。現在は国立神戸大学深江キャンパスになっています。本館の建物は昭和20年(1945)に二度にわたる空襲を受けて焼失し、現存していません。

上の写真は、昭和7年頃のKNCの佐賀県出身の生徒たちです。この中には、昭和9年(1934)卒業の森武氏も含まれているものと思います。この写真の中の若者たちも、数年後に勃発する太平洋戦争に多くが動員され、中には戦死された方もおられるそうです。
今の日本の礎に、佐賀人の先輩たちの血と汗がたくさんにじんでいることを我々も誇りに思いたいものですね。
主宰者拝
昨日、このBlogで佐賀県出身の森武海軍少佐について紹介しましたが、森氏の母校である現在の国立神戸大学海事科学部(旧制官立神戸高等商船学校=Kobe Nautical College【KNC】)は、佐賀県からも多くの進学者があったようです。ウェブサイトで紹介している石井利雄海軍中尉もまた、佐賀県出身で、佐賀県立佐賀中学校(現在の県立佐賀西高校)からKNCに進んでいます。思えば、幕末の時代、佐賀藩では第10代藩主鍋島閑叟公の指揮の下、近代的な造船・造機、操船の技術移入や教育が盛んで、自前で造船所や海軍学校を作ってしまったほどでした。KNCに佐賀県出身者が多いのも、その影響が少なからずあるのではないでしょうか。

上の写真は、当時のKNCの本館校舎です。現在は国立神戸大学深江キャンパスになっています。本館の建物は昭和20年(1945)に二度にわたる空襲を受けて焼失し、現存していません。

上の写真は、昭和7年頃のKNCの佐賀県出身の生徒たちです。この中には、昭和9年(1934)卒業の森武氏も含まれているものと思います。この写真の中の若者たちも、数年後に勃発する太平洋戦争に多くが動員され、中には戦死された方もおられるそうです。
今の日本の礎に、佐賀人の先輩たちの血と汗がたくさんにじんでいることを我々も誇りに思いたいものですね。
主宰者拝