2008年12月29日

吉岡安直陸軍中将の話

今、『満州国皇帝の秘録-ラストエンペラーと「厳秘会見録の謎」』(中田整一著)という本を読んでいます。

吉岡安直陸軍中将の話


吉岡安直陸軍中将という陸軍の将軍のことを皆さんはご存知でしょうか? 実はこの将軍、満州国皇帝であった溥儀氏の御用掛として日本陸軍関東軍から派遣された人物です。溥儀氏やその弟溥傑氏の後の著述などから、この吉岡将軍が関東軍の威光を背景にさんざん横暴な振る舞いがあったとして、ドラマや書籍などでも、悪役のレッテルを貼られています。溥傑氏の妻浩(嵯峨侯爵家の令嬢)の著作でも、辛口に書かれています。

吉岡将軍は、九州の大分県の生まれですが、長じて佐賀県の吉岡家に養子入りしているため、本籍は「佐賀県」となっていて、資料にっては「佐賀県出身」としているものもあります。

吉岡将軍は、上述のとおりいわゆる「悪役」のレッテルを貼られていたのですが、実はちょっと違うようです。吉岡将軍は、関東軍と皇帝溥儀氏の間で板挟みとなり苦悩していたことや、溥儀氏に忠誠を尽くしていたこと、溥儀氏と趣味を同じくしその話題で親しく会話していることなどの秘話があり、溥儀氏もとても頼りにしておられたそうです。そのような話から、決して悪い人物ではなかったようです。溥儀氏も後になって、自己保身のために吉岡将軍を悪者にしたことを悔いる発言があったそうです。

吉岡安直陸軍中将の話は、『満州国皇帝の秘録-ラストエンペラーと「厳秘会見録の謎」』に詳しく書かれています。佐賀県にゆかりのある人物として、吉岡将軍の本来の人物像が明らかになるといいなと思います。しかし、後年に溥傑氏に吉岡将軍の遺族からの手紙を手渡した際、溥傑氏は喜ばなかったというエピソードもあり、吉岡将軍も良い部分もあった一方で、陸軍の威光を背景に横柄な振る舞いもあったのもまた事実のようです。吉岡将軍は、溥儀・溥傑両氏とともにソ連軍に逮捕されて、シベリアに送られ、モスクワで病死しています。

主宰者拝


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Posted by 石井和泉 at 23:59│Comments(1)人物紹介
この記事へのコメント
新京桜木小学校の同窓生として、吉岡将軍の令嬢、和子さんを存じ上げています。
和子さんから得た情報によりますと、
将軍は、芸術に対する造詣が大変深く、
その高潔な人格から、関東軍の威力を背景に横暴な振る舞いなどとんでもない虚構だという、強い実感があります。
The last emperor は、極東裁判における吉岡将軍に対する誹謗を、その後、Emperor ご自身により撤回、「謝罪」されておられます。
公明正大、流石は、清朝の末裔です。
満洲石油株式会社の社報でも、吉岡将軍の高潔な人格は、伺い知れます。
終戦直前、清朝の陵墓・北陵の松を伐採、松根油の原料にと動いた同石油会社の幹部の動きに対して、同将軍ははっきりと拒否の態度を示されたと推測されます。
この記録は、要請があれば、いつでも、提出できます。
           安良城勝也・閑古鳥幻聴
Posted by 安良城勝也(あらきかつや)・閑古鳥幻聴(雅号) at 2009年05月29日 19:29
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