2009年01月04日
天地人
皆様、こんばんは。
年末年始のお休みも今日が最後ですね。いつになっても、明日が会社、という休暇の最終日は気が重いものです。年末年始のお休み、皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか。
さて、今日からスタートしたNHK大河ドラマ「天地人」は、上杉景勝の家臣直江兼続の生涯を描いた作品でありますが、この兼続は、なかなかの名将で、天下人・太閤秀吉も一目を置いた、というより、直参に召抱えたいと思ったほどの器量の持ち主であったことは知られているとおりです。
であるならば、我らが藩祖鍋島直茂公もまた、秀吉に器量を認められた名将で、天下の七軍師に数えられるほどでした。「葉隠」聞書第10には、次のような逸話があります。
ある日、秀吉にお伽の衆が尋ねました。
「殿下、今の世に天下をとるような器量を持った大名はおられますでしょうか?」
すると秀吉は、
「うむ、天下を取るには大気(度量が広いこと)、勇気、知恵・・・この3つがなければならぬ。この3つを備えた大名はおらぬ。されど陪臣には2つずつ持った者が3人おるわ。一人目が上杉家の直江兼続。これは大気と勇気はあるが、知恵が釣り合わぬ。二人目の毛利家の小早川隆景。やつは大気と知恵はあるが勇気が今一つじゃ。あと一人は龍造寺家の鍋島直茂じゃ。こいつは勇気と知恵はあるが大気がないのじゃ。じゃがな、大名にはこれほどの者もおらんのじゃ」
と話したそうです。
太閤秀吉は、裸一貫で天下人になったので、いわゆる父祖伝来の譜代家臣を持っていませんでした。それゆえに、優秀な人材を発掘するのに優れていて、陪臣でも有能な武将を見出しては、直接主従関係を結ぼうとし、豊臣家恩顧の武将を作ろうとしました。直江もそうであったし、小早川は毛利家の分家でありながら、豊臣家の中枢にあって秀吉を補佐しました。鍋島もまた、九州の国割りの際、龍造寺家とは別に秀吉から直接知行地を与えられ、大名に列したことなどからも、この逸話も信憑性が高いといえるでしょう。
なお、上杉家と鍋島家も、初代藩主鍋島勝茂公の姫(市姫)が、米沢藩第二代藩主上杉定勝の正室に迎えられ、第二代藩主鍋島光茂公の正室には定勝の姫(虎姫/柳線院)が嫁いでいます。佐賀と米沢も歴史的につながりが深いようです。
主宰者拝
年末年始のお休みも今日が最後ですね。いつになっても、明日が会社、という休暇の最終日は気が重いものです。年末年始のお休み、皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか。
さて、今日からスタートしたNHK大河ドラマ「天地人」は、上杉景勝の家臣直江兼続の生涯を描いた作品でありますが、この兼続は、なかなかの名将で、天下人・太閤秀吉も一目を置いた、というより、直参に召抱えたいと思ったほどの器量の持ち主であったことは知られているとおりです。
であるならば、我らが藩祖鍋島直茂公もまた、秀吉に器量を認められた名将で、天下の七軍師に数えられるほどでした。「葉隠」聞書第10には、次のような逸話があります。
ある日、秀吉にお伽の衆が尋ねました。
「殿下、今の世に天下をとるような器量を持った大名はおられますでしょうか?」
すると秀吉は、
「うむ、天下を取るには大気(度量が広いこと)、勇気、知恵・・・この3つがなければならぬ。この3つを備えた大名はおらぬ。されど陪臣には2つずつ持った者が3人おるわ。一人目が上杉家の直江兼続。これは大気と勇気はあるが、知恵が釣り合わぬ。二人目の毛利家の小早川隆景。やつは大気と知恵はあるが勇気が今一つじゃ。あと一人は龍造寺家の鍋島直茂じゃ。こいつは勇気と知恵はあるが大気がないのじゃ。じゃがな、大名にはこれほどの者もおらんのじゃ」
と話したそうです。
太閤秀吉は、裸一貫で天下人になったので、いわゆる父祖伝来の譜代家臣を持っていませんでした。それゆえに、優秀な人材を発掘するのに優れていて、陪臣でも有能な武将を見出しては、直接主従関係を結ぼうとし、豊臣家恩顧の武将を作ろうとしました。直江もそうであったし、小早川は毛利家の分家でありながら、豊臣家の中枢にあって秀吉を補佐しました。鍋島もまた、九州の国割りの際、龍造寺家とは別に秀吉から直接知行地を与えられ、大名に列したことなどからも、この逸話も信憑性が高いといえるでしょう。
なお、上杉家と鍋島家も、初代藩主鍋島勝茂公の姫(市姫)が、米沢藩第二代藩主上杉定勝の正室に迎えられ、第二代藩主鍋島光茂公の正室には定勝の姫(虎姫/柳線院)が嫁いでいます。佐賀と米沢も歴史的につながりが深いようです。
主宰者拝
Posted by 石井和泉 at 23:21│Comments(0)
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